新規事業開発の実務

どうせすぐ忘れるんでしょ\(^o^)/

エゴで仕事する

サラリーマンとして仕事をするなら、上から指示を出されてそれをなるべく高いパフォーマンスを出しつつこなすような仕事が楽でいいな、と思っている。

プログラマ時代はそういう仕事が多く、それでも身につくことがあり楽しかった。しかし人間、30歳を超えるとだんだんとそういう仕事の割合は減っていく。自分で具体的な目標設定をしながら、与えられた裁量の中で成果を出さなければならないタイプの仕事が増えてくる。

 

前職最後の名刺の肩書は「編集長 / コンサルタント」だったが、この「編集長」という方の仕事は、使えるリソースが全くない中で、自分の時間とツテを駆使し、管理するブログメディアをなるべく有益なものにし、会社に貢献せよ、というざっくりしたものだった (私の場合は)。

多くの事業推進でも、上司がゴールへの正しい道順を知っているはずもない。こういうアバウトな投げ方をするのは至極当然だと思う。

 

そのような、「具体的な目標や手順を与えられない仕事」を推進する場合、自分はできるだけエゴでやるようにしている。「エゴ」という表現が身勝手や我儘な印象でよくないならば、「自分ゴトにする」と言い換えてもいい。

 

「自分の感性や主義、理想など」と「与えられた目的、仕事のビジョン」とに接点を見いだせないと、どこかで推進力を失うものだ。全く仕事が進まないわけでもないし、成果がでないわけでもないが、踏み込みが甘くなる。うまく表現できないが、自分にとってその仕事が切実だったり、意義があると感じられないと長期に渡ってモチベーションも維持できないし、ドライブ力も落ちてくる。

 

この、「自分と、与えられた仕事との、接点」を、私の場合は「構造に対する怒り」として見出すことが多い。ソーシャルメディア礼賛をやっている時は、”個々人を軽視したり、発信を抑圧する情報流通や経済に怒り、そこにパラダイムシフトを興すことを大義として” 仕事をしていた。

感じ方の問題だけではなく、ある程度意識的に自分をそういう考えに持って行かないといけない。それをせずに ”仕事だから” と客観的に納得して始めることは簡単だが、それだと根っこの部分では他人事なので、長くは続かない気がする。自分の感性と仕事との接点を見つけたら、 ”この業界はこうあるべきだ、こういうことをすべきだ、そのプロセスのひとつがこの仕事だ” と一人称で考えられるように自分に言い聞かせたり、煽ったり、鼓舞したりする。この時、「人」に対して怒ってはいけない。仕事を憎んで人を憎まず。構造やプロセスといった、自分が関与可能なものだけに怒りを集中する。

どう思い込むにしても、一人称なので、完全に正しいことはない。否定されることもあるが、元々意識的に刷り込んだものであれば、間違いを認識した時に修正することはそれほど難しくない。それよりも、自分ごととして、前のめりに、ある時は他の意見を否定することも辞さないくらいに強く信じることの方が難しい。

 

高速なジョブローテーション、要するに仕事や目的が頻繁に変わる環境下では、このようなある程度時間のかかる、深いモチベーションを自分に根付かせるのは骨が折れる。一方のメリットとしては、それがある程度限定された環境下であれば、より本質的な、抽象的な段階での理解を深めることにつながるという点が挙げられるだろう。

 

「お金儲け」というのはシンプルでベーシックな意義で、消費者の満足度が適正であればひいては公益につながるんだと思う。ただ、そういうあまりにも基本的なもので自分をモチベートし続けることは難しいし、共感を生まず周囲を巻き込むこともままならない。

これから自分がやろうとしていることにどういう意義を見出すのか。刻々と変わる状況の中で自分の方針がブレないためにも、なるべく深いところまでたどり着きたいと思う。